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育児講座 No.18 胎児教育! |
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| 「産まれてからでは遅すぎる!」という電気メーカの社長の本を昔よみました。書かれていることはもっともな事なのでしょう。胎児に良い音楽や沢山の原語を学ばせると良いのでしょう。しかし、現実の妊婦さんはそんなゆとりは無いのではないのでしょうか? | ||||
| 夫も若く、収入も少ない上にお母さま自体も結婚したてで、仕事との両立や家事に加えて、宿六様のお世話にあけくれてその上つわりで体調もおかしくなり、とても出来ないのが現実のように思います。 | ||||
| しかし、やはりこの時期が産まれてくる子どもの生涯で一番大切な時期なのだと思うのです。 | ||||
| あれは二番目の子どもを家内が妊娠した時の事です。8カ月まで、自宅近くの産院に通い経過は順調でした。出産を予定していた長野の実家近くの産院に検診に向かったのです。すると突然「胎児の様子がおかしいので、精密検査が必要で中央病院に行って下さい。」と言われたのです。そして精密検査の結果が言い渡されたのです。忘れる事は出来ません。 | ||||
| 医師は単刀直入に「胎児には重篤な障害がある。脳といくつかの内臓が問題で、その上口腔裂もある、産まれても自分の力で生きることは出来ない。すぐに堕ろしなさい。」と言うのです。晴天の霹靂でした。一瞬の沈黙の後、家内の顔を見ながら私は医師にこう言ったのです。 | ||||
| 「赤ちゃんを助ける方法は無いのですか?」すると医師はこの病院では無理なので、日本で一番嬰児医療が進んでいる浜松の聖霊病院に行きなさい。」と紹介状を書いてくださったのです。 | ||||
| 3歳になった娘と不安のどん底に投げ込まれた家内と三人で車に乗り、重い心のまハンドルを握り自宅を経て、浜松に向かいました。そして家内は即入院となりました。自宅から浜松まで高速を使って約2時間、毎日通いました。担当の医師は四国のご出身の方で親切に色々教えてくださったのです。特に治療費は研究費からだすので心配しないようにといわれました。この子を育てる為には時間も経費も必要なため転職は不可避と覚悟を決めていました。 | ||||
| そして10日ほどたった日曜日でした。「胎児の様子がおかしいので即帝王切開をしなければならないのだが、担当の医師のご自宅(四国の産院)でお母さまが急死され今、そちらで浜松にすぐ戻れ無い。」というのです。そして、赤ちゃんは死に、3日後に死 産となりました。病室で小さな柩に納棺して自宅へと向かいました。本当は死胎は自家用車で搬送してはいけないのですが、後部座席に柩だけをのせて連れ帰りました。近所の人や教会の親しい人達だけで、私が司式して葬儀をしました。 | ||||
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小さな柩を抱えて向かった火葬場は悲しみの世界でした。3才になっていた長女はその日の事をはっきり覚えていて、「皆が泣いているのが不思議でしょうがなかった」といっていました。 | |||
| 家内と私は、その胎児の障害の原因を調べる為に、出来得る限りの検査をさせられましたが、一切の異常は見つかりませんでした。退院した家内と胎児を教会墓地に納骨したのですが、その時家内はいいました。「私はすこし疲れ過ぎていたわ。」と言うのです。3才長女のの育児、そして牧師をしている夫(一日中家にいる)のお世話、さらに教会を訪れる多くの方への気配り。 | ||||
| ストレスがかさんでいたのです。おそらくそれが原因で胎児に悪影響し、成長が妨げられたのではないでしょうか。 | ||||
| 大切なことは、妊婦は過大なストレスに晒されてはならないと言うことなのではないでしょうか。その気持ちが胎児に悪影響を与えたのです。とすると、妊婦がその反対に喜びや感謝に溢れていたら、どれだけ胎児に良い影響を与えるでしょうか。 | ||||
| 胎児は、胎盤を通して送られている血液によってお母さんの気持ちと全く同じ気持ちになるよう脳内のホルモンの影響下におかれているのだそうです。妊婦の生活環境、経済状態、精神状態が安定して、胎児に対して配慮できる状態になっているか否かが、大切なのです。 | ||||
| 特に、胎児を喜び、肯定的感情に満たされ、整えられた家庭に期待されて産まれてくる状況が、本当に大切なのです。 | ||||
| お母さんが、これから産まれている子どもの為に、安心して準備ができ、それが整う事が何よりも必要なのです。そして、その様な状態を作り出すことが一番の胎教だと思います。 | ||||
| 2007年04月21日 20:43:13 | ||||
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